自己紹介
🫶🏼ヒーラー・セラピスト 林セーラ
スピリチュアルアーティスト💫クリスタル屋さんも時々してます。
インドは第二の故郷
経歴は帰国子女・元メディアアーティスト・フィットネストレーナー/高度専門士
✳️ADHD・筋繊維痛症もち
✳️保護ねこ2匹と夫はフィットネストレーナーで体の専門家
✳️好きなこと・夜の散歩(怪しいと言われる)
✳️好きなもの・ねこ
✳️好きな食べ物・プルンプルンしたもの、ベトナム料理
スピリチャルなご縁があって、
インドの修道院でも幼少期の多くを過ごしました。
振り返ると自分自身や親との関係、
人生について、結婚について何度も悩んだことから、
スピリチャルに興味を持ち、
人の心や精神について関心を持つのは必然だったようにも思います。
私は親の高齢出産の一人っ子として生まれました。
母は活躍したアーティストでしたが
統合失調症に悩まされ、
父は養護教員で立派に勤め上げましたが、
深刻な溜め込み症があり
ずっと後になってから発達障害グレーゾーンということがわかりました。
母は命懸けで私を産んでくれたのですが
未熟児寸前の小さな子で、夜泣きが絶えなかったそうです。
幼少期から既に生きづらさを感じていていましたが、それが一体
人とどう違うのか、なぜしんどいのか、解るまでにとっても時間がかかりました。
表面的にはマイペースでいい子、ということで、
思春期になるまでは問題が見えなかったからです。
思春期には摂食障害やうつにも悩まされ
温度変化や自律神経の不調も多く、
筋繊維痛で全身の痛みに苦しむこともありました。
自分の心がなぜこんなにヒリヒリしたり、ざわつくのか、
どこに行っても、何をやっても
「自分がそこからはみ出してしまう」という感覚に悩まされてきました。
違和感を感じつつも、それがなんなのか分からずに
誰とも分かり合える気がせず、霧の中を歩くような人生でした。
理由が分からなかった当時、親ともぶつかり合い、
高校は海外へ留学してアートスクールへ行きました。
その後は映像の学校で学び、映像アーティストとして活躍したのですが、
すぐに体を壊してしまい緊急入院、生死を彷徨うことになりました。
精密検査をしても原因がわかりません。
いろいろな治療院にも駆け込み、最終的には鍼治療や、セラピー、
ヨガに参加し始め、徐々に体力をつけ、回復しました。
発達障害の一つで、体の動かし方が分からず、運動はずっと苦手でしたが、
エクササイズやヨガは自分のペースでできることから、少しづつ取り組み始め、
ヨガ講師の資格を取ったり、フィットネストレーナーの国際資格もとり、身体を鍛えることにも一時期ハマりました。
身体に集中している時は、思考が止まり、とっても楽になるのです。
後から知ったのは、これこそが、最初に知った瞑想状態でした。
通常と比べ、ADHDの私は脳がいつも雑音がうるさい状態なんだそうで、より、静まり返って感じたのかもしれません。
ですがそれに気が付かず、筋トレに答えがあると思い込んで、どんどんとフィットネスに邁進していき、
その後はトレーナーとしてゴールドジムという本格的なジムで、トレーナーとして働きました。
ですが、もともと筋繊維痛があるため運動後に回復も遅く、体が硬く痛くなることがとても増えたことや
ジムに来る多くのクライアントはジムに来れる元気を持っていて、
どちらかというと溜まったエネルギーやストレスを発散したかったり、ダイエットしたいという
肉体的な成果が一番の目的でした。
「瞑想の感覚」というのはほとんどの人が特に望んでいないことだというのもわかったことから、
もっと自分に向いている仕事があるのではないかと、
その頃から心と体のケアの方へ少しずつ仕事をシフトしていきました。
私生活ではトレーナーで鍼灸師の夫と結婚しましたが、
夫は自他共に認める、結構変わった人なのですが
結婚後、コミュニケーションがうまく取れずで何度も悩み、
なんだかおかしいぞ?となって
夫が発達障害(アスペルガー症候群)なのではないかと疑ったことで、
自分自身がADHDだったということが発覚し、
それまでの人生のクエスチョンに答えが出ました。
摂食障害や、うつ症状は2次障害だったとわかり、
また不得意なことやできないことがあるというのも自覚できてようやく
納得がいきました。
トレーナー時代、何度もジムに忘れ物をしていたり、
大事な予定を忘れたり、お金の計算がとっさにできない
ということが頻繁にあったからです。
これは映像アートの仕事をずっと続けていたら、気がつきもしないことでした。
スピリチャルとの出会い
両親は二人とも再婚で、予定外に私が生まれ、
二人の結婚はとても大変だったようで、
母はスピリチャルな世界にその答えを探していました。
そんなことから小さい頃はインドに縁があり、
欧米では著名なインドのアンマなど、
世界的に病院設立や貧しい人へ住居の提供などの
人道活動や平和活動を行うグル(霊的指導者)のもとで
時々過ごす機会がありました。
宗教や、国境を超えて、慈善事業を信念とする
スピリチュアリティと出会えたことと
その経験は今も私の人生にいろいろな影響を与えています。
悩んだ時代
高校は北米へ一人留学し、
バックパックをして世界を放浪していたりしました。
カナダのアートスクールを卒業し、その後は早稲田の映像学校に入り、
映像作家として活動していましたが筋繊維痛症や心身症、ストレスに悩まされ
体を壊しました。
その後ホリスティックな治療で回復し、ヨガやフィットネスをしばらく仕事にするまでになりましたが、
夫との結婚を機に、ADHDが判明しました。
医療にできることと、スピリチャルにできること
人は苦手克服と挑戦したがるものですが
自分に合った生き方を探すことが、幸せの第一歩につながっていきます。
自分にとって、重荷なこと、苦手なこと、あまり上達しないこと
向いていないことを知っていれば、働き方を変えることができます。
自分にとって心地よいこと、夢中になれること
自然とできてしまうこと
愛情を感じることが何かわかっていれば、
それを相手に伝えることもできますし、自分に合った人間関係を知ることもできます。
辛さや苦しさは当事者、本人にしかわかりませんし、
誰かと比べられるものではありません。
どう生きることが正解なのか、充実感や、幸せの形は人それぞれです。
納得いく人生を送ることが重要で、自分で決めていいのです。
そのためには自分を客観的に理解することが必要です
そのために医療の助けを借りることや、カウンセリングで自分の気持ちを整理したり
スピリチャルの理解を得ること、
そのいいところ、両方を利用したらいいと思うのです。
軽やかに楽になる、こころと体のつながりの体験
ホリスティックな医療に興味が湧いたのは
痛みから、ヨガや鍼灸を始めたのがきっかけです。
ヨガでは体を巡る血の流れや呼吸を感じ
それぞれの体の部位や骨、皮膚などは、
それぞれの筋肉や神経、内臓などとつながり合って地図を描いていること、
さらにはセラピーやヒーリングを通じて、
それら肉体的な部分と目に見えない感情や過去の記憶とも精妙に結びついていることを知りました。
運動や瞑想はストレスレベルを下げ、身体を感じさせてくれます。
それがなぜ、こころを軽やかに作用するのか、
理解できたのはずっとずっと後のことでしたが、
それらの「行為」を通して、「私のマインド(思考)が静けさを取り戻したから」だったのです。
エクササイズやヨガが自らの動的アプローチとすればセラピーやヒーリングは受動的なアプローチですが
ヒーリングやセラピーも同様にそのような状態を作りだし、体の機能が正常化していきます。
セッションを通じて、こころ軽やかに日々を送れますよう
皆様と関わっていければと思います
Jay maa om shanti.
皆様にたくさんの至福と光が降り注ぎますように
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おもな経歴
VictoriaSchool Of Performing And Visual Art卒
早稲田大学川口芸術学校卒
・加圧トレーニングインストラクター資格修了
・Chandraヨガ・ティーチャーコース修了
・Amritaヨガベーシックコース修了
・Ramana Maharishi yoga 認定コース修了
・頭蓋洗骨療法・クラニアルセラピーマスターコース修了
・CFTコールドフュージョンテクニック・整体治療手技コース修了
・ヨガニドラ・ヒプノセラピー認定コース修了
・オーラリーディング・クリスタルヒーリング講座修了
・全米公認ストレングス&コンディショニングパーソナルトレーナー資格修了
・ゴールドジム公認パーソナルトレーナー資格修了
・エネルギー波動療法マスターコース修了
ほか
ヒーリングストーン・ヒーリングアートのお店Amrita Level✧21オープン
オンライン3Gダイエットプログラム主催(終了)
不定期ワークショップ・ゆるゆるお茶会開催中(終了)
インドケララ州のアムリタプリにて
トルコのモスクにて
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アーティストSera Vaishnavi としての活動
Seraのスピリチャルアートはこちらから :現在準備中
祖父は日本七宝理事・日本画家/春郷七宝の谷口春郷
母は虹「コウ」の名前で七宝アーティスト・ミキモトジュエリー作家
映像・ヴィジュアルアート・パフォーマンス・演出・七宝・Mix
アーティストとしての経歴
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主な参加・受賞歴
恵比寿映像祭 日本新進作家選出
下北沢映画祭
愛知国際女性映画
祭東京国際映画祭(一部参加)
UPLINKx Jameson企画ショートフィルム制作
2013トーキョーワンダーサイトエクスペリメンタル・フェスティバルVol.8TEFパフォーマンス
パリ・ポンピドゥーセンター公式アート&イメージフェスティバルプログラム
第2回Hors Pistes 2012
ドイツハノーファー映画祭選出
東京藝術大学 写真・映像論 ゲスト講師
早稲田大学文化構想学部イメージ論 ゲスト講師
寿弥監督新作『オロ』劇場公開記念 ゲスト
制作協力
日本外国特派員協会・震災特別企画震災から一年:ぬぐい去れない映像祭 イメージ作成
TWENTYFIRSTCITYinc.NHKワールドJ-flicks制作アシスタント
映画「我が母の記」現場スタッフ
ほか
主な作品経歴
「01」2009/Experimental video
「Goto Style」/2009/Documentary/13:22min
「I’m so Hungry」 2009/Stop-motion animation/5min
「Colors」 2009/Installation, public art, used clothes, rope
「Music Face」 2010/Motion Graphic/00:38min
「Ode to lemon 」2010/Music Video/ super8 film, Video/4:44min
「映像と身体のインスタレーション」 2010/Performance Installation, projection
「Memories in Bloom」2011/Music video /super 8 film/3:27min
「Stay Gold」「短絡的私的青い時代」2011/experimental video/1min
「Come Wander With Me」2012/Moive/55min
「Deep scratches of glowing blue disc』/ 2012/Experimental video/1min
「Neon Lights」/2012/Short movie/14min
「Tour’d Ivoire」/2013/Stage/Theatre act, Performance, Projection/45min