「いいことばかり言う人」に要注意。スピリチュアルに潜む“逃げ”と“見ないふり”の正体

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「いいことばかり言う人」に要注意。スピリチュアルに潜む“逃げ”と“見ないふり”の正体

スピリチュアルな世界にいると、比較的多く出会うタイプがいます。
口当たりのいい言葉を並べ、優しそうで、包み込むような雰囲気をまとう人。
知識に富んで、達観しているように見え、素敵な理想を持った人。

でもその人が
キラキラふわふわした明るい世界「だけ」受け入れている人だった場合、
あなたが彼らにとってネガティブなことをいったり、
トラブルに巻き込まれたり、うまくかないときに、さーっとあなたの元を去ることがあるかもしれません。

そもそもそういう人たちは何かあった時、
そんなカルマの元に生まれたと、カルマのせいにしたり、目に見えない力のせいにしたりしがちです。

これはいままで私がたくさん実体験を持ってしてみてきたことですが、
“いいことばかり言う人”には、注意が必要です。

スピリチュアル=現実逃避になっていないか

私がこれまで出会ってきた中で、
大きなことや素晴らしい理想を語る人ほど、
いざ何か問題が起きたとき、驚くほど簡単に逃げるという傾向がありました。

責任を取らない。
痛みに向き合わない。
関係がこじれると、「エネルギーが違う」などと言って、静かに離れていく。

スピリチュアルというのは、本来とても深く、内面を見つめる尊い道のはずです。
なのに、都合の悪いことを“カルマ”や“宇宙の流れ”のせいにすることで、
自分の内側を見なくて済むようにしてしまう人が少なくない。

そう言う傾向にある人たちの属するコミュニティや団体は総じて、
「ポジティブ」「正しさ」「軽さ」しか受け入れない傾向が強いです。

リーダーを囲んで、周りのメンバーがそれを絶賛すると言うような、
裸の王様状態の団体も多くいるでしょう。

ですが、目に見えない力を使って、
「臭いものに蓋をする」
そんな癖がついてしまうと、スピリチュアルはただの現実逃避になってしまいます。

耳障りの良い言葉しか受け入れない人たち

「あなたは光そのもの」
「全ては完璧な流れの中」
「ネガティブな話は波動が下がるからやめよう」

一見、前向きでポジティブに見える言葉たち。
でもそこに、「痛み」や「葛藤」や「不安」を受け入れる余地はあるでしょうか?

重たい感情を切り捨ててしまう人に、真の癒しはできない。

これが本質。本来のスピリチャルとは
全てを内包していることの自由です。すべてを受け入れているから、手放せるということ。
そこには私たちのネガティブやときには目を向けたくないことも含まれているのです。

私たちは、人間としてこの地に生きている限り、
悲しみも、怒りも、後悔も、味わいながら成長していくものです。

本当に大切なのは、どん底の時に“隣にいてくれる人”

本当に大切なのは、あなたが傷ついたとき、やうまくいっていないときに、
そばにいてくれる人
です。

あなたが弱っているとき、
人生がうまくいっていないときに、
逃げずに隣にいてくれる人。

その存在こそが、本当の宝。
これを間違えずにいましょう。

逆に、
あなたが輝いているときだけ近づいてきたり、
調子の良いときだけ親しくするような人は、
残念ながらあなたの人生がちょっとでも傾くと離れていくでしょう。
そしてスピリチャルの世界に所属する人たちはこの傾向が結構強いと思うんです。

実際これは、人生がうまくいかない場面にならないとわからないことかもしれません

そう考えると、人生の山や谷は、ほんとうに大切にすべき、人生の宝に出会える、そんなタイミングでもあるのです。
苦しい時は魂の成長であり、本当の仲間や恩人に会えるチャンスでもあり、
スピリチャル的に悪いことではないからです

スピリチュアルだからこそ、現実を生きる覚悟が大事

目に見えない世界を信じるのは素敵なこと。
でも、それを言い訳や逃げ道に使ってしまえば、
自分も他人も、本当の意味で癒すことはできません。

この宇宙には想像しうる物事というのはほとんど全て存在している世界です
そのなかで、陰と陽ともに統合することが本来のスピリチャル。
人生の谷底にいる時にどう強く生きるか、それこそが重要なことです。

どんなときも“隣にいてくれる人”は大事にしたいですね
そしてどんなときも自分自身を信じることがとっても重要です。

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