依存症とトラウマの真実:狂っているのは社会、それともわたしたち?

約3分

依存症は「病気」ではなく、「こころの奴隷状態」です。

その本質は、トラウマからくる「正常な反応」です。

たとえば私たちの行動原理の一つに、なにか脳内のドーパミンを求めて、安心やつながり、あるいは逃避をしようとする行動をしますが、それが過剰になった時、それは依存症として現れます。
おもしろいことに、表面的には強迫的に見える行動も、実は心の奥にある問題を解決しようとする自然な試みなのです。
つまりトラウマに基づく依存症などは、ほんらい心を正常化して守るために起こしている行動、といってもいいのです。

うつ病や不安、その他の「精神疾患」と呼ばれるもの、
それはむしろ、現代社会の有害な狂気に対する正常な反応といってもいいでしょう。つまり、狂っているのはわたしたちや、精神病ではなく、 この世界そのものが、ある意味「狂っている」と言えるかもしれません。
精神病やトラウマ、依存症というのはそれにたいして私たちが「正常な反応」を起こしたのにすぎないのですから。

それに敏感に反応した人を「病気」とみなすのは、本来どこかおかしいのです。

トラウマとは、「心が言えない<NO>を、身体が代わりに表現している状態」です。
本来、子どもには自然な感情表現があります。泣いたり怒ったり甘えたりすることは、健全な反応です。
しかし、多くの親はそれを受け止める余裕がなく、理解を示さず、感情が否定されるとします。すると処理されなかった感情はわだかまりとなって、子どもの体に記憶されていきます。
じつは感情は、本来は長くはとどまりません。
理解され、それが安全に表現されるとき、やがて自然と流れていくのです。

例えば子供が癇癪を起こして起こっても、その怒りやフラストレーションがそのまま表現されることを許され、そう感じることを理解された環境では子供はずっと怒ってはいないでしょう。

でも、それを否定されることで、条件付けされ、罪悪感などを持つことになると、トラウマとして身体に残り続けてしまいます。
また両親が不仲だったりうまくいっていない家庭では、子どもの体内のコルチゾール(ストレスホルモン)レベルが高くなることが研究でもわかっているんだそうです。

大声でケンカしていなくても、家の中に漂う緊張感を、子どもの神経系は敏感に感じ取っているのです。

依存的な行動も、トラウマにもそうなった背景が存在します。痛みを「病気」として否定するのではなく、
痛みに「居場所」を与えることが、癒しの始まりです。

トラウマは自然に癒えるかと言えば、それはあり得るかもしれません
ですが、いつか訪れるかもしれない「悟り」や「今ここ」の自由な境地を待っているより、
専門的なサポートを受けるほうがずっと早く解決していくでしょう。

まずは対話の中で自分自身の体験を見つめていきましょう

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