
親愛なる私へ
親への期待を手放そう。
親が親らしく導き、知恵を与え、無条件で認めてくれるという幻想を手放そう。
私はずっと、親に認められたかった。私の努力を、私の選択を、私の存在を「それでいいんだよ」と肯定してほしかった。もし彼らがそうしてくれていたら、どれほど私は自信を持てただろう。どれほど前を向いて進めただろう。
でも、彼らはそうはしなかった。彼らの目には、私の選択はいつも間違っているように映った。私が自信を失ったとき、支えてくれるどころか、「だから言ったのに」「私たちの言うことを聞かないから」と、私の弱さを責める言葉を投げかけた。私はその言葉を信じてしまった。そして、自分の選択を疑い、自分を信じることができなくなった。
でも、もうわかる。私の選択は間違いではなかった。本当の間違いは、彼らの疑いの声を自分の真実にしてしまったこと。
もしあの時、私は自分を信じ続けることができていたら。もし彼らが支えてくれていたら。私はもっと遠くまで行けたかもしれない。でも、もう後悔はしない。なぜなら、私は今ここにいる。そして、これからは私が私自身を信じる。
私は、もう待たない。彼らが変わるのを待たない。彼らが私を認めるのを待たない。私は私を信じる。 私の選択を、私の努力を、私の存在を、私自身が認める。
でも、今ならわかる。彼らが私に必要なものを与えてくれなかったのは、与えたくなかったのではなく、与え方を知らなかったのだと。彼らもまた、自分たちの親から十分な愛や承認を受けられなかったのかもしれない。彼らは自分の恐れや不安、満たされなかった思いを、私に投影していた。私の価値を認めなかったのではなく、彼ら自身が自分の価値を信じられなかったのだ。
私は、ずっと戦ってきた。迷いながらも、転びながらも、それでも前に進もうとしてきた。そのことを、私は知っている。誰が何と言おうと、私は私の人生を生きている。
だから、もう親の承認を求めなくていい。親が「親らしく」なることを願わなくていい。彼らが与えてくれなかったものを、私は自分で自分に与える。
私は、私を信じる。
私は、私を認める。
私は、私を愛する。
そして、私は自由になる。
— 私より